置賜盆地の一角に位置する山形県西置賜郡飯豊町椿にて、江戸期を通し現代に至るまで、先祖代々稲作を営んでおります。

屋号の「万宝院」は、”まんぽういん”と呼びます。英訳すると「Millions Treasures Farm」

遠い先祖はきっと幾多の宝物、美味しいお米を生み出す農家という気持ちを込めて名付けたのでしょうか。

飯豊町は田園散居集落の広がるのどかな町として、日本で最も美しい村連合(http://utsukushii-mura.jp/iide/)に加盟しております。

当ファームが属す水田地帯は粘着性の高い肥沃な土壌を持ち、水源は最上川の源流白川に発しミネラル分(珪酸分含む)の多い清らかな水を利用し、昼夜の寒暖の差が大きい、おいしいお米を作るのに最適な条件が備わった理想的な土地です。

また世界でも指折りの豪雪地帯のため冬季は白銀の世界へと一変し、日本の中でも四季が最もはっきりしており、そのメリハリの効いた季節の移り変わり、そして昼夜の寒暖差が美味しいお米を育て上げます。

明治11年(1878年)東北地方を廻ったイギリスの女性旅行家イザベラ・バードは、現在の飯豊町椿~川西町へ至る道中の諏訪峠から米沢平野全体を見渡し、その著「日本奥地紀行」にこのように表現しております。 ”米沢平野は鋤で耕したというより鉛筆で描いたように美しい。実り豊かに微笑する大地であり、アジアのアルカディア(桃源郷)である”

深い歴史が刻まれた、自然の恵み豊かな土地柄で育んだ農家自慢のお米を、ぜひ一度味わってみてください。

みなさまのかかりつけの農家として、末永くお付き合いさせていただければ生産者としてこの上ない喜びであり、より美味しいお米を作っていこうというモチベーションにつながります。

日本の農業の明るい未来を切り拓くのは次世代の若い力であり、地域農業を支える農家であると考えております。 耕作放棄地や農業従事者の高齢化、担い手不足にみられるような産業としての農業の衰退と、日本の農業は危機的状況と言われていますが、視点を変えれば今まで閉鎖的だった分、可能性は無限に広がっています。

10年後、20年後の農業はどう変化しているのでしょうか。変化を楽しみながら受け入れ、その利便性を能動的に取り入れる。 不確定な世の中だからこそ、食という人々の根幹をなす基幹産業に力を入れ、次世代へと受け継いでいく。

万宝院ファームの経営も次世代へと引き継ぎ、急速に変化していくネット社会へ対応し、これからは新しいことへ積極的にチャレンジし、地域創生の一翼を担い、日本の食、農業を盛り上げていきたい気概です。

変化を恐れず、新しい時代での農業の立ち位置を模索し、日々精進し生産に励んでまいります。