昔日の面影 置賜

T-SITEを探索していると、なんだか馴染みのある表紙が。

大英帝国の女性旅行家、イザベラ・バード著『日本奥地紀行』の装丁のイラストタッチと似ている。

手にとったのは『逝きし世の面影』。

出版社はどちらも平凡社。

平凡社って歴史好きには堪らない中国古典文学シリーズを刊行してて、その叢書は至高の知の源泉。

その奇書シリーズ、黄緑色の装丁で分厚い『水滸伝』『三国志演義』『西遊記』は、若年の頃寝食を忘れ読み耽ってました。

その勢いで四大奇書の一つ『金瓶梅』を購入し読んでみたら、全編ピンク色満載で親の前で恥ずかしくなってしまったのも少し苦い思い出です。

それぞれ原書をもとに訳は中国文学者の駒田信二先生。駒田先生の訳がまた絶妙で、文調もその時代に合っていて、物語に吸い込まれ時間が過ぎるのも忘れるほど。

巷で出回っている『水滸伝』は百回本が主流で、梁山泊に108星の豪傑奇傑が集合して終わりですが、平凡社のは百二十回本。梁山泊集結後に北宋と闘い帰順し、国外の夷狄そして国内の反乱へ立ち向かい多くの仲間が倒れ、最後は棟梁の宋江が毒を煽り自害し終わっていく。あの賑やかな108星が次から次へ消えていき、寂寥感に苛まれ物語は完了。

『西遊記』も巷で売られているものは三蔵法師一向が天竺目指して経典を取りにいくシーンですが、平凡社はもちろん完全版。若き日の斉天大聖こと孫悟空が天上界を荒らし活躍するストーリーが前半を彩り、こちらも寝食忘れるほど面白い。

道教、仏教ごちゃまぜ、それぞれの神様が活躍するのが痺れます。孫悟空の好敵手、哪吒太子が後半では三蔵法師一向に助勢したりわくわく度合いがやばい。

まあ仏教界のトップ、釈迦如来の無敵無双には脱帽ですが。対して道教のボス、天帝は孫悟空の傍若無人ぶりになすすべなく。。人間らしくていいですが弱い。。。

その道教発祥の地の一つ、四川省都江堰市にある青城山へ10年ほど前、足を運んだのもいい思い出。

道教(五斗米道)創始者の張陵が祀られ、仙人みたいな格好した爺さんがあちこちに佇んでいました。日本人は自分一人で、時空を超えた不思議な感じがgood。

成都の武侯祠で三国志蜀の武臣文臣を拝し、ついでに青城山へ。三国志好きならば五斗米道と聞くと張魯、その祖父張陵。こんな繋がりで青城山へ訪れてみたくなります。

古典シリーズの一つ、司馬遷著『史記』は春秋戦国、前漢の武帝期に活躍した武将文臣列伝が事細かに描写され、至極の歴史文学。

歴史おたくの性で話がだいぶ逸れましたが、平凡社の書物は本当に良書が多くて、思わず手にとって中身をぱらぱらと見てしまいます。

これは本当に偶然なのですが、『逝きし世の面影』を手にとり、ぱっと開いたページで手の子と言う文字が目に飛び込んできました。

イザベラ・バードの記事を引用しています。当時の東北地方の農民の肖像画も。

そこにはこのような描写が。

”山形の手の子という村の駅舎では、「家の女たちは私(イザベラ・バード)が暑がっているのを見てしとやかに扇をとりだし、まるまる一時間も私を煽いでくれた。代金を尋ねるといらないと言い、何も受けとろうとしなかった。・・・・・・・・・・それだけではなく、彼女らは一包みのお菓子を差し出し、主人は扇に自分の名を書いて、私が受けとるよう言ってきかなかった。私は英国製のピンをいくつかしか彼らにやれないのが悲しかった。・・・・私は彼らに、日本のことを覚えている限りかぎりあなたたちを忘れることはないと心から告げて、彼らの親切にひどく心うたれながら出発した”

手の子という村は現在では飯豊町手ノ子地区を指します。万宝院ファームがある椿地区のお隣です。

イザベラ・バードが旅した明治初期と現在とでは、何もかも異なり比することはできないですが、東京から来た私も、土着の方々の親切心に常日頃接しています。

なんだかイザベラ・バード の言葉に同調したのは、私も手ノ子出身の方に大変良くして頂き、お昼や夕食に天丼、おむすびと焼き魚などを届けてくれ、その親切心に感謝しています。

150年ほど前に異国の地を旅した異国の方が感じた思いを、同じ土地で私が実体験で現在進行形で感じている。なんだか不思議な感じです。

時代は変われど、他所者でも誠心誠意地元の方々へ接していると、その土地の人々も親切に返して頂ける、置賜に限らず、逝きし世の面影は日本全国津々浦々、現代も連綿と続いているんだなと改めて感じとりました。今も昔も人々の営みが続くかぎり。

イザベラ・バードが愛した置賜は、人情味溢れる自然豊かな素敵なところです。

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